出西生姜は、島根県出雲市斐川町出西地区で生産されているブランド野菜です。繊維質が少なく、上品な甘さがあることから、大変珍重されています。
そんな出西生姜は歴史や由来に関する情報は少なく、全容は謎に包まれています。
縁結びの街「出雲」のお茶屋・茶三代一(ちゃさんだい)です。
今回は、歴史書や専門書をもとに、出西生姜の特徴や歴史をご紹介します。現在の状況についても触れていますので、ご一読いただけますと幸いです。これからの寒い季節にぜひ出西生姜であたたまってくださいね。
出西生姜とは
出西生姜は、出雲市斐川町出西地区で育てられている地域ブランドの生姜です。生姜は温暖な地域が栽培適地とされているのですが、出雲生姜は気温が低い出雲市で栽培され、その希少性から幻の生姜と言われています。
近年は毎年10トン前後が収穫され、県内外の市場に出荷されています。五穀豊穣の象徴ともされ、出雲大社や、出雲大社との縁が深い地元・斐川町の万九千神社に奉納されています。
出西生姜の特徴
続いて、出雲生姜の特徴について解説します。出西生姜の植物分類上の特徴や味、希少品とされる理由などをご紹介致します。
斐川町出西地区でしか育たない希少品
出西生姜が、出西地区でしか育たない希少品と言われているのは、土壌に理由があります。
生姜は温暖な気候と肥沃な砂質壌土でかつ、排水が良く適度な保水力を持つ畑が適地とされているのですが、それらの条件を備える土壌は、出西地区に限られるからです(注1)。
優れた排水性と適度な保水力は南高瀬川の恩恵とされます。南高瀬川の川水が両岸に点在する畑へ流れることで自然に土壌に浸透し、保水の役目を果たしているのです。
出西地区は、国内で2番目に古い開閉式運河の出西岩樋があるなど、水の起点と言われていますが、豊かな水資源がもたらす恩恵が出西生姜の生育に好影響をもたらしているのでしょう。
出西生姜は黄生姜の一種
出西生姜は、俗に芋生姜と言われる大生姜ではなく、茎部が鮮紅になる黄生姜に分類されます。
黄生姜の最大の特徴は、その名の通り、色味です。従来の生姜と比べて、退色しにくく、色鮮やかな黄金色で料理を彩ってくれます。
味の面では、生姜の有効成分として有名なジンゲロールやショウガオールといった辛味成分が多く含有されているのも特長の1つです。
味は辛味があり独特の香気を放つ
出西生姜は辛味成分を多く含む黄生姜に分類されることから、味は辛味です。その上、繊維が少なく独特の香気を放ってます。
これらの特徴から、夏季には食欲を増進する醤油生姜として調理されるほか、酢の物や紅生姜など用途も広いとされます。
明治、大正時代は干し生姜に熱湯と卵酒を注いで、発汗を促すなど、風邪初期に効く民間薬として活用されていました。
収穫適期は10月末から11月15日
出西生姜の収穫適期は10月末から11月15日までの1週間とされます。これより遅いと降霜や低温障害の恐れがあるほか、逆に早いと十分に生育していない可能性があるためです。
とはいえ、葉生姜の出回り時期は6〜8月とされるため、出西生姜も市場の動きに合わせて8月には出荷が始まります。
出西生姜の歴史
ここからは、出西生姜の歴史について解説します。
九州方面から漂着した一体の御神木が始まり
出西生姜は、出西村が海に面していた遠い昔、九州方面から一体の御神木が漂着したのが始まりとされます(注2)。
なぜ御神木の漂着が始まりなのかと言うと、地元住民らが御神木を八幡宮に祭祀した後、御神木に付着していたとみられる種子によって社の周りに繁茂し始めた生姜が、出西生姜の起源と言われているからです。
このように、出西生姜は神道との所縁が深いことから、昔は生姜祭と呼ばれる祈年祭が八幡宮で開催されていました。現在は廃止されていますが、この祈年祭は、毎年4月上旬の植え付け前に、農家らが栽培予定地の土と種生姜を八幡宮の境内に持ち寄ることで、盛大に行っていたと言われています。
風邪に効く特効薬として、大名に献上された
出西生姜は、単に風味が優れているだけではありません。「娘やるなら出西郷へ、生姜の匂ひで風邪ひかぬ」と唄にうたわれている通り、風邪薬としても特効がありました(注2)。
このため、出西生姜は昔、近隣の諸大名に献上物として賞賛されるなど、重宝されました。献上物として売りさばいた当時の行商は数ヶ月がかりで各地を行脚したとの言い伝えがあります。
百数十年前に本格栽培が始まる
出西生姜は、江戸時代後期から明治時代初期である百数十年前に本格栽培が始まったと言われ、南高瀬川より運航する高瀬舟に積まれ松江に搬出、名声を博したと伝えられています(注1)。
その後、大正時代後半から自転車の普及により、種生姜として4、5月ごろ各地に販路が開けました。さらに、夏から秋にかけて葉生姜売りの収入が良かったことから、以後昭和にかけて、栽培農家が急増。生姜栽培に加え、養蚕や米などと組み合わせた多角経営農家も続出したとの記録が残ります(注2)。
斐川町農業協同組合史によれば、栽培者の増加を受け、地元農家は大正15(1926)年、出西生姜生産組合(150人)を組織し、肥料の共同購入や種生姜の価格設定、共同出荷といった販促、栽培促進に尽力。営農組織の出西村農村会は組合の活動に協力的であり、生姜の栽培促進を図ろうと、毎年40〜50円の補助金を交付しつつ、栽培講習や講和会などを開き、組合員を対象にした営農指導に当たっています。
第二次世界大戦の影響で受難の時代に
出西生姜は、地元営農組織の協力を受けて着実に生産量を増やしたとされますが、第二次世界大戦中の食糧増産の渦中に巻き込まれ、受難の時代に入ったとされます(注1)。
具体的には、政府の生姜作付制限令で贅沢作物として排斥されたほか、制限超過に対して強制抜き取りなどが実施されました。結果、1943年の県農会調査で、七町五反あった栽培面積は戦後、約五〜六反に減少してしまったのです。
終戦により再び復興の兆しが見えたものの、1950年代にあった腐敗病の大発生を受け、生姜畑の多くがぶどう、タバコ畑に切り替わってしまいました。
出西生姜の現在
最後に出西生姜の現在について解説します。
出西生姜は伝統野菜として復活
1950年代以降、生産者が急激に減少していたのですが、地元農家が1998年に出西生姜組合を結成、ブランド化に向けた活動をスタートさせました。
活動当初は手持ちの種生姜が少なかったため、栽培面積は10〜20アールほど。それでも栽培農家の方々は、毎年種を収穫しながら、10アールずつ面積を増やし、現在は100アールにあたる1ヘクタールで栽培しています。注文の引き合いも多く、伝統野菜として復活を果たしたと言えるでしょう。
地元企業と連携した商品が続出
出西生姜は、ブランド力の高さから、地元企業と連携した商品が続々と登場しています。
代表的なもので言えば、来間屋生姜糖本舗の「今夜は月とジンジャエール」が有名です。また、同店は、炭火で煮詰め1つ1つ手作業で仕上げた「生姜糖」を販売しています。
このほか、特産ひかわは、出西生姜の特徴ある辛さと爽やかさを存分に生かしたカレー製品を開発し、道の駅湯の川レストランで提供。自然食品の開発を手がけるほくようは、収穫直後の生姜を加工したパウダー製品を開発、販売しています。
出西生姜は出雲が誇る特産品
生姜の生産地は、高知や熊本など、日照時間が長く、温暖な気候に偏ります。それだけに、一般的な生姜の栽培適地とは異なる出雲でとれる出西生姜は希少性があり、出雲が誇る特産野菜と言えるでしょう。
茶三代一は、この出西生姜の良さ生かした「出西しょうが湯」を製造、販売しています。出西生姜の特徴である辛味や香気を味わえますので、ぜひ手に取ってみてくださいね。
参考文献
(注1)昌子圭二『斐川町農業協同組合史』斐川町農業協同組合、1989年、pp158~160
(注2)太田直行『島根民藝録・出雲新風土記』冬夏書房、1987年、pp325~326